千葉県長生郡白子町にある某
H海岸。
かつては、夏のシーズンになると、5万人もの海水浴客で賑わった海水浴場であった。
海岸に出られる道路は1本だけであり、町工場のような建物の脇にある、以前は、海岸まで車で出ることができたが、連続
焼死事件以降、その道も海水浴場も封鎖され、海岸へは徒歩でしか行けなくなっている。
そして、海水浴場の名前も地図から抹消された。
事件の真相はこうである。
最初の事件が起こったのは、1982年1月17日の早朝。
浜に置き捨てられている廃船の陰で燃えくすぶっている乗用車があった。
発見者から通報を受けた駐在所の警官が駆けつけて乗用車を調べた結果、後部トランクから
焼死体が発見された。
焼死体は頭蓋骨と背骨の一部を残し、全て燃え尽くしていたが、灰の中に焼けたブラジャーのホックがあったことから、女性の遺体であることが判明した。
歯型の照合結果から、この被害者は、燃えた乗用車の所有者である千葉市内のスナックのママ(当時
44歳)であることがわかった。
焼死体発見の2日前に自分の店を出てからのママの足取りは不明で、犯人の手がかりは何一つ残っていなかった。
第二の事件が起こったのは、1982年4月6日午前7時半頃。
スナックのママの
焼死体が発見された場所のすぐ近くで、乗用車が炎上しているのを、車で通りかかった公務員が発見した。
公務員の届け出に応じた千葉県警の署員は現場に急行した。
乗用者の運転席に黒焦げの焼死体があり、車の外には黒の短靴が揃えて置いてあった。
靴の中に腕時計と車検証が入れてあった。
捜査の結果、この焼死者は、千葉県東金市内のバスの運転手(当時
44歳)で、「子供をよろしく」という遺書を妻宛てに残しており、自殺であることが判明した。
第三の事件が起こったのは、1982年4月21日午前7時45分頃。
やはり、前の2件の事件と同じ場所で、トラックが燃えているのをパトロール中の道路管理事務所の所長が発見し、通報。
駆け付けた署員の捜査により、運転席から焼け焦げた男性の
焼死体が発見された。
署の捜査により、焼死体の男性は、千葉県柏市の会社員(当時
44歳)であることが判明。
前の晩遅くに、妻に「もう帰らない」と電話していることから、焼身自殺であることが推定される。
第四の事件が起こったのは、1982年5月中旬、前の3件の事件の場所から少し離れた所で、幼い男のコを連れた父親(当時
44歳)が乗用車内で焼身心中し、
焼死体で発見された。
4件とも『
44歳』の人間が『
焼死』している。
これらの事件は、当時、地元でも有名だったようで、地元紙である千葉日報で報じられた。
当時の白子町長は、この幽霊騒ぎは、
H海岸に奉られている朽ち果てた龍神様の木の鳥居を撤去しようと計画していることに対する、龍神様の怒りの警告ではないかと推測した。
地元の住職に依頼し、町長以下自治体の人達が集まって、盛大に龍神様の怒りを鎮めるお祓いが行われた。住職は「焼死事件や幽霊騒ぎなどの怪奇事件が続発するということは、80%何かの霊が呼んでいるということです。お祓いをし、清める。寺の本堂で供養を続けるしか、跋扈する霊を鎮める手段はないのです。」という。
さて、問題は、この祟りがきちんと鎮められたかどうかということであるが・・・
一昨年の夏、千葉オフの際に、この
H海岸に訪れようということになった。
時間は夜だったのだが、海岸へと続く道(現在は、車での侵入は不可)の向こうに、赤い光がたくさんあるのが見えた。
最初は、パトカーのパトライトかと思い、警察の取り締まりでもやっているのか?と思っていたのだが・・・。
よく見ると、パトカー以外に救急車と消防車がある。しかも、消防車は何台も来ているではないか!民家もないところで火事??いやいや、よくよく見てみると、その場所は、ビーチラインという有料道路の上だった。
徒歩で近づいてみると、近所の人たちが野次馬で見に来ていた。
ビーチラインへは、斜面を登れば上がることが出来る。
その道路沿いに黒山の人だかりができていた。結構、広範囲にわたって赤いパトライトが光っているので、大きな事故があったことがわかった。
斜面を登って、ビーチライン沿いに行くと、ちょうど橋の上あたりで、ワゴン車が一台、全焼していた。車種がわからないほどに真っ黒焦げになており、周囲の人たちの話から、運転手の男性は焼死してしまったということがわった。
そして、その男性の年齢が
44歳だと聞いたとき、背中にゾクゾクっと悪寒が走るのを覚えた。
奇しくも、その男性が
焼死した場所が、あの
H海岸への入口だったからだ!
きっと、あの祟りは、今でも続いているのだろう・・・
そして、私は、同行した友人と共に誓った。
自分達が
44歳になったとき、この海岸には近寄らないようにしようと・・・